答えを欲しがる子どもたち
教育の方法が時代ごとに変わり、経済の流れも変わり、家庭環境も変わり、食事環境も変われば、その時代を生きる子どもたちのそれぞれの特徴が違ってくるのは必然です。
私が教育を受けていた時代はゆとりと言われていましたが、その頃から比べると今の子どもたちは随分と習う範囲も広くなったと感じます。
私たちゆとりよりも前の時代は、それこそ沢山の範囲を学習していたと聞きますが、元に戻っただけなのでしょうか?
教育の仕方や制度の変化は、もちろん子どもたちのためを考えたものです。
しかし教育の仕方や制度が変わったからといって、よーいドン!っで変えられるほど簡単な話ではありません。
なぜなら私たち人間は自分が経験したこと、自分の尺度からしか考えられないものだからです。
私で言えば、ゆとり教育の中で生きてきたのだから、ゆとり教育しかわからないのです。
だとするなら今教育に携わる大人の人たちも、自分が経験した教育方法以外はとても難しく、無意識に慣れたやり方になるものです。
私が受けてきた教育は、さまざまなことが準備されている教育でした。
わかりやすく解説が書かれている教材、答えが決まっている問題、わからなければすぐに教えてくれる機械。
そんな環境で育ってきたので、答えは誰かが準備してくれているもので、やり方は決まっているもので、誰かが何かが教えてくれるものだと思っていました。
この考え方は今の子どもたちも変わっていません。
ピアノを習いにくる子どもたちは楽譜を見て弾き始める前に、先生の顔を伺います。
間違ったらすぐ止まってまた先生の顔を伺います。
わからないところがあったら練習をしません。
この子どもたちの様子は私自身にも身に覚えがあります。
私も当時はすぐに答えを欲しがって、準備してくれるのを待っていました。
ですがそれが通用するのは学生まで、問題は社会に出てからです。
社会は決まった答えもなく、誰も教えてもくれず、受け身だけではやっていけない世界です。
だとするなら、突然社会に出てからその大きな違いに気がつくのではなく、小さいうちから触れておくべきなのではないでしょうか。
ピアノレッスンといえど、家庭と学校以外の教育の場としてなり得ると思っています。
答えを欲しがる子どもたちに、答えは自分で探していいんだよと常に伝えるのです。
間違っても良いから弾いてみて、そして間違いに自分で気がついて、自分で直し、自分の音楽にたどり着いてほしいと思っています。
このピアノレッスンが音楽だけにとどまらず、これからの社会に出たときの自信に繋がっていけたらとても嬉しいです。
長年培ってきた生き方や考え方を変えるのはとても難しいことで、自分の答えを探せるようになるまで何年もかかる子もたくさんいます。
それでも出来るだけ早い対応をとることで、子どもたちの可能性を広げることができると私は信じています。